人生の夏休みを取りました。~③竹富島で過ごした夏休み~
こんにちは、たまです。
今回は「星のや竹富島」の「島時間養生」プランで体験したことを書きます。
旅行記としては今回がすべてです。
個人的なここまでのいきさつは、過去記事よりどうぞ。
島時間養生プラン
「島時間養生」は「星のや竹富島」が滞在オプションとして用意しているプランです。
つまり素泊まり宿泊費(3泊4日分)+コレということ。
行く前の私は、こんな高いのに全然気持ちに変化がなかったらどうしよう、と不安に思っていました。笑(旅行として満足しないはずはないと思ってましたが)
サイトを見ていただければわかる通りですが、組み合わせ自由のオプションが、3泊4日分フルチャージされている、というプランです。
3泊4日のうち、いつそれをやるのかも自由。
事前に宿からいただいたメール連絡でも、予約が必要な3回分のスパの時間のみを決めました。あとは本当に「その時の自分の気持ちで決める」とな。体験にも準備とかあるだろうに、どうするのだろうとぼんやり考えていましたが、心配は無用でした。
竹富港から送迎車で宿に着くとすぐ、スタッフの方が一人お迎えに来てくれました。そのままカートで「部屋」へ直行。
「星のや竹富島」の「部屋」とは、イコール家1棟です。石垣に囲まれ、庭にハイビスカスが咲き誇り、赤瓦の屋根にはシーサーが鎮座する沖縄の家、1棟。
お迎えのスタッフさんは、旅中ずっと身の回りのお世話をしてくださる、いわばコンシェルジュの方でした。
メインとサブの2名体制(多分)で、ずっと良い距離感で付き合ってくれます。
部屋に着いてすぐ、脳幸福度と脳疲労度のテストをしました。
医師会監修のもので、各20個ぐらいのチェックシートに答え、そのポイントの合算値で脳の健康状態をはかるというもの。
私はマイナス15点で、もはや脳が疲労している参考値のマイナス10点を下回る結果に…笑
チェックアウトの時も同じテストをやるんだそう。改善が楽しみです。
そして、「おなかがすいたらフロントにお電話ください」とのこと。
島時間養生には、朝食3回・昼食1回・夕食3回がついています。
つまり、3泊4日のどこでカードを切っても(切らなくても)自由、時間も指定なし、ということ。なんというか…すごいプランです。笑
1つ気を付けておくべきは、昼食1回・夕食3回は、いずれも前にアクティビティがセットになっていること。
例えば、ハーブを収穫して食前酒を作っていただいたり、もずく麺を自分で打ったり。空腹感がしっかり高まるものばかり。
なんだかんだアクティビティは1時間ぐらいかかるので、「あ、ちょっとおなか減ってきたな」ぐらいでフロントに連絡するのがポイントです!
結果、私が辿った3泊4日はこんな感じになりました。
初日に「この日に何をする」ぐらいは決めてましたが、あとは本当にその日の気まぐれ。
■1日目
13:30 チェックイン、脳コンサルテーション
<部屋でのんびり>
15:00 スパ(80分):特別メニュー ※特別メニューは3回中1回選択可
<星のや内を散策>
18:00 ハーブ採取→自分で摘んだ長命草で作った食前酒をいただく
19:00 ダイニングでフレンチフルコース(夕焼けを眺めながら)
<部屋でのんびり>
22:00 就寝
■2日目
<よんなー深呼吸に参加するつもりが寝坊…まいいや>
6:30 起床
<アイヤル浜まで散歩>
7:30 朝ごはん:ジュース2種
<部屋でのんびり>
11:30 もずく麺作り(小麦粉から!)
+ハーブ採取→ハーブ塩作り
(西桟橋まで夕陽を見に行くため、夕食用のアクティビティを前倒し)
13:00 ダイニングで昼ごはん:打ちたてもずく麺
<プールのデッキチェアでぼんやり>
15:00 スパ(80分):ひかのーんコース
<部屋に戻ると、昼に摘んだハーブでハーブティーのサプライズ>
<部屋でのんびり>
19:00 西桟橋まで送迎してもらい、夕陽を見送る
20:00 部屋で海鮮しゃぶしゃぶ(お手製ハーブ塩を添えて)
21:15 プールサイドでてぃんぬ深呼吸→そのまま星空観賞(カメラの限界)
23:00 就寝
■3日目
6:00 起床
6:20 アイヤル浜でよんなー深呼吸
8:00 朝ごはん:ジュース2種(昨日と違う)
<部屋でのんびり>
10:00 星のやの周回バスで、カイジ浜へ
12:00 「たけのこ」でランチ
13:30 周回バスで宿に戻る
14:00 ハーブ採取→月桃の蒸留水作り
(またも夕陽を見に行くため、夕食用のアクティビティを前倒し)
15:00 スパ(80分):しゅらさコース
<部屋に戻ると、ハーブティーとハーブバスのサプライズ!>
<部屋でのんびり>
19:00 西桟橋まで送迎してもらい、夕陽を見送る(おかわり2回目)
20:00 コウシンバラとレモングラスの食前酒
20:15 ダイニングでフレンチフルコース
21:30 プールサイドでてぃんぬ深呼吸→そのまま星空観賞
23:00 就寝
■4日目
5:30 起床
6:20 アイヤル浜でよんなー深呼吸
8:00 朝ごはん:ジュース2種(3日間違った)
<プールのデッキチェアでぼんやり>
<部屋でのんびり>
12:00 脳コンサルテーション(2回目)、チェックアウト
最後にやった脳力テストは、20点でした。
なんと35点アップです。笑
20点の状態メモには「脳はいい状態です。少しのストレスがあっても、脳が自然と身体をリフレッシュさせるよう反応します。」と書いてあります。
旅を終えた私は、その通りだと思いました。
感じたこと
小さな島で過ごした、すべてが豊かな3泊4日でした。
まずは自然。
緑と青と、花の鮮やかな赤や黄色。目に映るものすべてが豊かで美しい。
それと、20年分ぐらいの虫とヤモリを見ました。笑
最初こそおっかなびっくりでしたが、一定の距離を保てばだんだんかわいく見えてくるもので、家に住みつくヤモリやクモにあだ名を付けて観察していました。
※とはいえ本当に多いので、虫が苦手な人は結構覚悟してった方がよいです!
3回のスパ。
マッサージはたまに行くのですが、ほとんど駆け込み寺的な使い方なので、3日もかけて誰かが自分の体に向き合ってくれたのは初めてでした。(あんまりなくないですか?)
施術はとにかく気持ちよかったのですが、最終日のお見送りでスパのお姉さんに言われたこと。
「今の状態が本当の貴方だということを忘れないで」
二度と来ないように。大事に、忘れずに生きていこうと思いました。
なんだか目頭が熱くなってしまったのでした。
旅でたくさんの「知恵」も得ました。
ハーブや花の名前、香り、効能。島の食材。伝わる民芸や生きる術の数々。
小さい頃、花の名前を覚えるのだけはやたら得意で、よく両親に自慢していたことを思い出しました。
月桃の蒸留水は、甘い香りで落ち着く。クミスクチンのお茶は、苦いけど疲労感が軽くなる。塩はヨモギとコウシンバラが好み。総合点で私が一番好きなのは、レモングラス。
自分の感想付きで覚えたので、きっと忘れないし、ペースが乱れたときに思い出そうと思います。
そして一番記憶に残っているのは、西桟橋で見た日没。
一秒も同じ景色はない。どんどん、どんどん沈んでいく。直前までこれでもかと燃えているのに、まるでジュッと音を立てるように水平線に没していく。
次の日も同じ場所で日没を見ました。前日の1分後。雲が晴れて、同じようで少し違う景色。
私たちは回っている。ずっと自転し続ける。毎日同じような日を繰り返しても、「今」はもう二度と帰ってこない。
「時間は止まらない」。これは旅のあいだ、何回か思ったことでした。
会社で過ごす平日は、出勤してから退勤するまでのおよそ12時間を「仕事の時間」としか捉えていなくて、最初の1時間も最後の1時間も同じように感じるのですが、島では全く違ったのです。
朝、日が昇って、太陽がだんだん高くなる。朝はカラスが元気。太陽が真上に来る頃、徐々に風が出てきて、雲が流れて空は青一色になる。太陽が傾いていく。空の色が変わる。雲が増える。ヤモリが元気。日が沈む。星が出てくる。月が見える…
ずっとそうやって、ゆっくり、でも着実に流れていく。
同じ時がない。今はもう来ない。ナアナアに過ごすのは惜しい。
ありきたりな教訓ではあるけど、こんなに身をもって実感したのは、この旅が初めてだったと思います。
ごはんがおいしい。人が優しい。自然は美しい。
色んな花を見た。色んな種類のハーブを嗅いだ。摘み取り、塩に、蒸留水に、カクテルにした。お茶を飲んだ。
色んな生き物を見た。ヤモリ。青いしっぽのトカゲ。蝶。ムカデ、クモ、タガメみたいなやつ。30センチぐらいのオオトカゲも見た。鳥もたくさん。色んな声も聴いた。
白い砂浜を歩いた。海を見た。プールに入った。ビーチで、ベンチで、雲が流れるのを見た。夕陽が沈むところを見た。最後の一秒まで。星空を見た。流れ星も。天の川も。朝日も見た。
私は、その一つ一つに「感動」できることを、忘れずに生きていこうと思いました。
おわりに
約束通り、旅の最中は、よく自分と会話をしていました。
<部屋でのんびり>の時間はずっと、ノートに頭の中の言葉を全部書き出していました。
私は書くと整理ができるタイプ。記憶力もないし、これがすごくよかった。
仕事が好きか嫌いか。続けたいか。えらくなりたいか。今、1年後、3年後、10年後、何がしたいか。どこに行きたいか。私にはいくら必要か。生きるうえで何が大事か。など…
ずっと悩んでいたことや、考えるに及ばなかったこと。
今回考えて答えが出たもの、考え続けようと思ったもの、考える必要がないとわかったもの、いろいろです。でも「いろいろ」が出たのです。
どうにかしたくて休みを取って、この旅に来ました。
終わってみて、生まれ変わった感覚はありません。
でも、つきものが溶かされた。なくなったような感覚に近い。
コップに満タンになっていたのは水ではなく泥で、いつしか中の水分も蒸発して、カピカピに乾いていた気がします。日々の自分じゃ、もうどうしようもなかった。
それがこの旅を経て溶け出ていった。
時間によって。仕事から離れたことによって。スパによって。殴り書きノートによって。海や自然を見て。
どっかにそっくりそのまま取り置いた、捨てた、というわけでもなく、溶けてなくなった感じがするのです。
きっと東京に帰って平日に戻れば、すぐに日常に飲まれる。
空になったコップに、また簡単に泥が積もるでしょう。放っておけばすぐ元通りです。
でも、これからの私はそれを放置しない。
しょっちゅう水を与えて、溶かしながらなんとかやっていく。なるべく泥が入らないようにする。それができる時間の余裕を確保し続ける。元気でいる。
難しいことは置いといて、それだけ、竹富島の私と約束して、帰ってきたのです。
……東京に帰って数日経ち、ついに明日から社会復帰です。
無性に本が読みたくなって、ずっと読書をしています。通勤の時間はしばらく読書にしようかと思います。
映画はまだ見てないけど、見たいものが出てきたら、見られる気がする。
やっぱり働きたくはないけど、「サザエさん症候群」みたいな中途半端な嫌気はなくて、妙に落ち着いていて、「さあやりますか」という気持ちです。
仕事を辞める日は決めませんでしたが、転職活動のことを少し考えられるようになりました。辞めるとしたら春先かな。タイミング見て。
誰かのために書いたブログでしたが、きっと私も読み返すと思います。
自分を励ましてくれるのは過去の自分だけだ。(by武田鉄矢)
これを読んだみなさんが、健やかに生きられますように。
以上、たまでした。
人生の夏休みを取りました。~②「休む」という選択~
こんにちは、たまです。
人生の夏休みを取る話、第2回です。
今回は、夏休みという選択肢を選ぶところから。
前回の記事はこちら。
「休む」という選択肢
2021年冬、大きな仕事の区切りが翌年に見えた時でした。
夫に仕事を辞めるかもしれない、と言いました。働くことをやめて、ニートになるかもと。
衝動的、とは少し違いました。言い出すか否かは何周も悩んでいて、なのに結局意を決してではなく、コップから水が溢れるような感じでした。
子供も授かりたいのに、福利厚生が整う会社をわざわざ辞めて、次もなくダブルインカムを放棄するなんて、馬鹿としか言いようがないことは分かっていたので、これも自分のキャリアと同じくらい、大きな気になりごとでした。
夫は、健康第一だから構わないよと言いました。むしろ潰れる前にそうして、と言いました。
なんだか涙が出て、私はそれに対して、自分が思ったよりもヤバいんだなと、ぼんやり思いました。
しかし夫はこうも言いました。
いつまでもニートだと、きっとがっかりするし、イライラすると思う、と。
俺が養うよとか言えないのか!っていう意見もあると思いますが、私にはこれも大事な言葉でした。
これは異常事態であり、解決が必要なことなのだと自覚できたからです。逃げ出して終了じゃないのです。
私が鬱病なんだと告白したら、きっと後半の言葉はかけてもらえなかったでしょう。立ち直らねばと思いました。
同じ頃、ストレス起因の体調不良で休職し、2ヶ月ぶりに復帰した同僚とごはんに行きました。
彼女は仕事への心持ちが一変した、と言いました。顔色も顔つきも変わって、穏やかで晴れやかだった。
休むと変わる。かもしれない。
それまでゼロヒャクだった私の選択肢に、一つ「休む」という選択肢が生まれました。
「辞める」だと気になる四方山が、「休む」ならそんなに気にならない。生活にも不都合がない。
一つ大きな気がかりは、「休む」だとタイムリミットがあることでした。
年末年始やGWなど長めの休暇をもらっても、社会復帰する日が気になって落ち込むことはよくあります。きっとそうなる。それで解決になるか。
結論、それでもいいやと思いました。
まずは途中で仕事を思い出しても「まあいいや」と思えるぐらいの長い休暇にする。最低でも2週間は必要だと思いました。
もうひとつは、当然戻ることを前提に引継や準備をするし、会社にも言わないが、戻らなくてもいいやという気持ちで休む。戻るとしても辞める日取りを決めて戻る、なんていうのもアリだと考えました。
決めてからは割と早く、上司にも「もう限界だから休みたい」と言いました。
最初は期限付き休職を考えましたが、それは意思のみで選択できないことを知り、1か月を希望しました。
結果、当時から約半年後の7/9(土)~7/31(日)が休暇期間、ただし中日の7/12(火)の会社研修には出席する、ということになりました。
なんだか短くなったなと…賞味2週間余りです。
100%納得がいったわけではないです。もっと律して戦うべきだったかもしれません。
ま、でもいいのです。休めたので。
私にとっては「自分のためだけに長い休みを取ること」がそもそも大きな一歩。
そして、周りの仲間たちにとって、傍若無人な休み方をしないことはプライドでした。
こんな言い方微妙すぎるけど、休むなら、この人がこういう休み方をするならまあ仕方ない、と思ってもらわなければと考えていました。
別にそんなこと考えなくても、あっさり休んだって社会も会社も回るし、そうあるべき、それを疎ましく思う職場がおかしい、と思います。
しかし実際、誰かがろくな引継もなく休むと軽く絶望する。少なくとも私は「ゆっくり休んで~!」と口では言いながら、心の中で舌打ちをしてきたのです。そうしたい気持ちはあっても余裕がない。それは周りも同じ可能性が高い。
これは私の独りよがり、不要なプライドかもしれませんが、どうしても“スマート”に休みたかったのです。
さて、何をしようか
やりたいことがない長期休暇、ましてや1週間以上の休みは初めてです。
何をすれば、この沼にはまった感じを抜け出せるだろう。行きたい場所ややりたいことが湧いてくる自分に戻れるだろう。本や映画が楽しめるようになるだろう。
以前の私は、どこかに行きたい・何かがしたいと思ったら、その日のうちに旅程を立てて、予約までしちゃうような奴だったのです。(このブログにもその痕跡があります)
私は、この治療方法を考える作業までもが嫌にならないように、ゆっくりゆっくり考えました。
何かを記憶しながら考える力が本当に弱まっていたので、白い紙を脳みそ代わりに、とにかく何でも書きながら考えました。
そして、次の3つを順番にやってみるのはどうか、という結論に至りました。
- どう考えても楽しくてイージーな旅行で、仕事を忘れること
- 自分とじっくり話し合う旅に出て、心の中のぐちゃぐちゃをどうにかすること
- 整頓(もしくは空っぽ)になった心で、やりたいと思ったことをひたすら楽しむこと
まずは完ぺきに引継をして、パソコンも携帯も家に置いて旅行にいこうと思いました。
元来の私は、その地でやりたいことを残さずやるギッチギチのスケジュールを立てるトラベラーです。人が少ない僻地や秘境、大自然が好きです。
しかし、計画することに疲れるがゆえに旅行自体が億劫になっていたので、いうなれば旅行初心者でも楽しめる王道な場所で、気の合う人と、ゆっくり時間を過ごす旅をすることにしました。
ちょうどハネムーンがまだだったので、夫と2人でハワイに決定!
飛行機と宿だけ決めて、あとは現地でしたいことをする。久しぶりにるるぶなんて買って、ただただ眺める。計画は立てない。
否が応でもワクワクしました。そうそう、この感じ。旅行って、行く前も、行ってからも楽しいんだよね。
そしてハワイから楽しい気持ちで帰ってきたら、きっとそのままになっているであろうモヤモヤ?ごちゃごちゃ?をどうにかする一人旅に出ようと思いました。
この旅先選びは時間をかけました。
断食道場、寺修行、養生施設、お遍路、電車で途中下車の旅……
いろんな方向を思いながら、自分の中にゆっくりと生まれた要望を聞きました。それが、
「遠い離島」で、「自由」だけど「絶対嫌な思いをしない、守られた」旅。
離島は元々好きです。
人より牛が多くて、それより緑が多くて、それより海が広い。でもそのなかで会う数少ない人間は温かい。日本語も通じるし、ご飯もおいしい。なのに時間の流れが確実に東京と違う。
そういう場所に不便(時に汚さ)はつきものですが、それを感じない環境を選ぶ。
だから100%自分のために、自由に過ごす。ずうっと自分と対話することができる、と考えました。
「守られた」というのはつまり、民宿ではなく、旅館やホテル。ひいては、おひとり様がゆっくり贅沢をするためのプランにしよう、と思いました。
そうやって選んだのが「星のや竹富島」の「島時間養生」プランでした。
さて、プランの中身と実録は次回に。
巻末に、そのほか候補になった旅先ホテルを載せておきます。
いつか行きたいなぁ。
以上、たまでした。
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離島にこだわりがなければ、この辺もたくさん検索しました。
「リトリート」「デトックス」あたりのワードを駆使…
人生の夏休みを取りました。~①ここまでのいきさつ~
こんにちは。たまです。
前回ポストしてからもう4年。ブログを読み返して若いなと思ったり、意外とまともな文章書くなと思ったり。笑 (4年前も既に社会人ですから、そりゃそうなのですが笑)
今回は、私が人生の夏休みを取った話をします。
画像もなしで、ほとんど独白ですが…
どこかの誰かが似たような思いを抱き、何気なくgoogle検索した時に、引っかかるといいなという気持ちで書き残します。
※長くなりそうなので、好きに読んでください。
いきさつ
軽く自己紹介をします。あるがままです。
31歳。女。会社員。
平日はほぼ毎日22時過ぎまで残業。土日祝休みだが、BtoC業務のアクシデントに備えて社用携帯は放置不可。なんかずーっと忙しい。
社会人9年目。激務経験もあり、成したことも、今の会社の評価もそれなりにある。たぶん、85点は取れる。(何のテスト?)
2021年にコロナ禍で結婚。子供なし、希望はあり。そろそろ真面目に…という局面。
映画のエンドロールに名前が載ることが、私の夢でした。
6年前、夢は叶いました。ただその時に見た景色は、思ってたものと違った。
もちろん嬉しかったし、転職もして自分で選択してきたことだし、どこかで間違えたと結論付けたくはないのです。
ただ、美しい山頂の景色を見て、道中の疲れが吹き飛ぶ…ことはなかった。頭では綺麗だ、すごいと思うのに、道すがらの泥にはまった身体があまりに汚くて、そんなことより早く帰りたいと思ってしまうような。純に喜べない、そんな気持ちでした。
あんなに頑張ったのになんか違ったなんて、当時はこの微妙な想いを言葉にするのも嫌で、これは幸せなことなんだと周りにも自分にも言い聞かせていました。(いやほんとに幸せなことではあったんですが)
私は、夢が浅かったのだと思いました。
エンドロールに載るってなんだよ、その心は?本当に成したいことは?自分本位じゃだめだ、人のためになってお金もらう「仕事」をなめてない?…みたいなことを延々考えました。
しかし、その間もまた別の山を、這って登っていく。山頂で景色を見る。美しいとは思う。ただ早く帰りたい。でもそのまま次の山にかかる。それを繰り返す。
そうすることでいつかしっくりきて、正解にできると思った。いやほんとはもう信じてなかったかもしれないけど、信じるしかなかった。
そして登山と少し違うのは、時を同じくして違う山にも挑んでいたことです。マルチタスクってやつ。その数も質も、恐らくずっとキャパを超えていて、でも私はその違和感を無視していました。複数人に見せかけて私は一人ですから、もう何が頂上なのか、どれがすごくてどれがすごくないのか、そのうち分からなくなりました。
頂上の景色に期待しすぎない、道中なんてキツイものだ、頂上着いたけど時間ないから景色はいいや、この山は頂上見なくていいから次行こう、登れると思われているから任されるのだ、…そうやって色々諦めながら、歩き続けました。
要領がいいと言われます。それ褒めてんの?と思います。
仕事が早いと言われます。早く帰りたいからです。
仕事が雑と言われます。ムカつくけどそうだろうと思います。
これもよろしく!と言われます。私は頷きます。はい喜んで!を言わない、というショボい抵抗を見せますが、当然誰も気付きません。
山登りが嫌になりました。
辛いけど景色がいいから登っちゃうみたいな中毒性も、もはやない。飽きたし、つまんないし、ずっとつらい。
夢とかも、知らないうちにどうでもよくなりました。
浅いとか深いとか知らん。もう考えたくない。
仕事ってそんなもんでしょ、という達観したアレを言う人もいますが、もし社会人がみんな「こんなもん」で頑張ってるんだとしたら、私は心底すごいと思います。拍手もんです。
私にはできないので、落ちこぼれなのかもしれません。でも、もうそれでもいいやと思うくらいには、疲れてしまったのです。
そうして2021年冬。
「限界」を迎えました。
「限界」とは
限界の定義は難しいです。
死ぬまで?病気になるまで?
病気になるというのは、医者にかかり病名がついたら、でしょうか。鬱?適応障害?
それはもう限界超えちゃってるでしょと思う。
逆に、こっからはちょっと無理をすることになる、というバーが限界でしょうか。
それは甘いだろと思う。
私は今回病院にはかかっていません。薬も飲んでいません。
お腹が痛くなったり涙が止まらなくなったり、辛くて会社に行けないこともありません。
でも、帰りのタクシーでたまに涙は出るし、朝は何かを考えると辛いので無心で家を出ます。
誰かが共感できるかもしれないので、いくつか起きていた諸問題を書いておきます。
- 考えようとすると頭にもやがかかる。同じことをずっと悩んでる気がする。もはや何を悩んでるのかわからない。
- 数字が3桁以上覚えられない。例えば認証コードとか。2桁ずつ行ったり来たりする。
- 1秒前にやろうとしていたことを忘れる。忘れて他のことをやってることも忘れる。
- 深夜暴食。心底食べたいと思ってるわけではなくて、食べたい衝動に抗えなくて、食べ始めた時点で後悔する。
- ずっと身体が重い。元気な状態がどういう状態か、よく思い出せない。
- 気づくと呼吸が苦しい。たぶん浅い。深呼吸すると肺が伸びて痛い。
私にとって一番ショックだったのは、大好きな映画・読書・旅行をする気が起きなくなったことでした。
映画に2時間集中できないし、したくない。
活字を追っても、少しも読めてない(理解してない)ことがある。
子供のころからコンテンツは変われど、違う世界に揺蕩い、誰かの生き様に心動かされることがなんだか好きで、エンタメを志し、夢まで描いたのです。
なのに、心動かされて疲れるのが嫌だ、と思った。
何も考えなくて済むバラエティばかりで、時間が溶けていく。それしか手が出す気になれない休日の自分。
エンタメに携わる社会人としても、人間としても終わってると思いました。
旅行は唯一、仕事とは無関係な私の息抜きでした。(エンタメに関係ないことなんてない、みたいなお叱りはごめんです)
コロナも重なりましたが、たぶん重なってなくても行けなくなってたと思います。
いくら考えても尽きることが無かった「行きたいところ、やりたいこと」が、思い浮かばなくなっていました。
どれがいつからという正確なことは覚えていませんが、少なくともコロナ禍の2年間は全ての諸問題が併発していました。
仕事は仕事でやれていたし、取るに足らないことかもしれません。多少無理をすればよくあることでしょ、とも思う。
でも、原因は何か、解決策は何か、とか考えるともやがかかるので、もういいやと諦める。でも悩む。悩んでる自分が嫌になる。
嫌になることも嫌になって寝る。朝が来る。無心で会社に行く。その繰り返しでした。
私は自分が鬱病ではないし、病院にはかからないと思っています。
自分がちょっとおかしいなということは察知できていて、自分で宥めたり隠したり、対外的な対処はしていたし、気づいてさえいれば本当の限界が来る前に「限界」を設けられると思うからです。
そして、おかしさに気付かないまま、物理的な症状が出る人を羨ましいと思いました。
強制的に足を止めてもらえたら。「もういいから休め」と言われたら楽なのに、と思っていました。
ごめんなさい、こんなことを書いて誰かを傷つけるのは分かっているのですが、誰かに寄り添えるかもしれないのであえて残します。
会社員なんだからいつ辞めたっていいんだ、限界はいつでも自分で決めていいんだ、と自分に言い聞かせる意味でも、辞めたいとよくまわりに愚痴っていました。
が、実際そう簡単に足を止められない。
私の場合、会社や人間関係が嫌以前に、働くことに参っていたので、異動や転職が最善策だとは思えず、一回ニートになるしかないと思っていました。
経歴の傷、レールを降りること、ネガティブな理由での退職、ニートのレッテル、社会価値、そんなことばかりが気になりました。
どれも健康と天秤にかける価値もないものだと思う。友達がそんなことで悩んでいたら、もう辞めなよと言うでしょう。
でも、そんなこと気にできるんだったら限界はまだ先だよ、とかも思う。
「限界」のバーを向こうへ、向こうへ、ずらし続ける。
きっと折れる自分を一番許せないのは、自分なのです。
今回はここまでにします。次回は夏休みを決意するところから。
以上、たまでした。
扁桃腺摘出手術をしました。~④手術後の生活とその他お役立ち情報~
こんにちは、たまです。
私、とんでもない3日坊主なのです笑
1年も経ってしまいましたが、扁桃腺摘出手術編を完結したいと思います。
これまでの壮絶な戦いはこちらから。
退院しました
入院7日目…ついに退院です。
傷口は確かに白くかさぶたになっていて、治る気配を感じるのですが、何を飲み込むにも少し覚悟がいるという状態は変わらず。
引っかかるものや刺激物はしばらくやめておいてくださいね、と先生に言われましたが、言われなくても食べられないぐらいにはまだ痛かったです。
退院祝いに食べたハーゲンダッツ。よく見ればのどちんこの形…笑
そこからも基本主食はプリン。食べる豆腐スープもよく食べました。舌も動きづらいので、ヨーグルトは口に残ったものを回収できず微妙。笑 このあたりは自身で見つけるのがいいと思います。
その他、退院後2週間ぐらいで私に起こった問題は以下。
ひとつ、とにかく朝が痛い。寝るときはしばらく、濡れマスクと加湿器を欠かさずしていましたが、やはり乾燥するのか朝は痛い…
ぬるま湯をちびちび飲んで慣らす、というのを毎朝やっていました。笑
ふたつ、無理は禁物!毎日少しずつ良くなっていくというより、日によって痛い場所が変わっていくという感じでした。故に今日は調子いいなという日がたまにあるのですが、絶対無理は禁物です。
一度どうしてもトンカツが食べたくてお店に入ったものの、一口目を飲み込んだ瞬間にビリッという痛みが走り、そのまま断念→退店ということがありました。恥ずかしいしマジで勿体なかった…多分かさぶたが無理に剥がれたんだと思います。
みっつ、味覚に難あり。手術時「稀に味覚障害が起こることがあります」とは聞いていましたが、正直本当に起こるとは思わず…笑
私の場合、塩気に対する感覚が鈍くなってしまい、しばらく何を食べるにも塩や醤油を足してました。これは2週間と言わず、2ヶ月ぐらいかけて徐々に戻った感じがします。
術後に食べるのを楽しみにしていたラーメンが、思った味じゃなかった時。何のために頑張ったんだと無性に悲しい気持ちに…
治したのに美味しいものを美味しく感じない悲しみは、結構心にきます。笑
そして1年が経ちました
問題ばかりあげましたが…そして正直、つらい期間は思ったより長かったのですが、取って良かったと心の底から思っています。
取らなきゃ良かったと思った日はありませんでした。扁桃炎に苦しんでいた日々は終わりが見えなかったけど、術後は良くなる一方ですから。
今は何の違和感もなく暮らしています。
何となく唾を変に飲んでむせる回数は増えた気がするけど、気のせいかも。笑
熱が出る回数は減りました。風邪をひく回数は変わりなく、真っ先に喉が痛いのも相変わらずです。
あ、扁桃腺を取っても喉は痛くなりますよ!変に腫れたり、それだけで熱が出たりしないだけです。それがとてつもなく嬉しいことなんだけど。
今迷っている方、手術を決めた方、治療真っ最中の方に少しでも届くといいなと思います。同じことは起こらないだろうけど、私自身は体験記にたくさん励まされ考えさせられ、準備をさせてもらったので!
これで終わります。
読んでくれた方の幸運と健康を祈ります。
たまでした。
扁桃腺摘出手術をしました。~③手術前夜から術後まで~
こんにちは、たまです。
やっと本題まで来ました。笑 このポストでは扁桃腺摘出手術の一部始終を記録したいと思います。
ここまでの流れはこちらから。
さて、手術を決心したのは手術日の約2か月前。かかりつけの耳鼻科に書いてもらった紹介状をもとに、扁桃周囲膿瘍でもお世話になった大病院へ。「あ~繰り返しちゃったか~」と先生。この日は手術までの流れについて、簡単に説明を受けました。
大事なことは以下3つ。
全身麻酔をするため、入院1か月前に健康診断のような検査日が設けられました。尿検査や心電図、レントゲンなど。(余談ですが、採血の本数が6本もあって手術するんだなぁと謎に実感を得ました。笑)またその結果を受けて後日、手術を担当する先生に手術についての説明を受けました。
この時期のただ一つの注意事項は、風邪を引いたり熱を出したりすると手術ができないらしく、「絶対体調崩さないで」とのこと。私は扁桃炎の頻度が高かったので、「少しでも喉が痛くなる気配がしたらこれを」ということで漢方薬を処方してもらいました。
実録!手術一部始終
なんとか無事に元気な状態で入院当日。13時過ぎに病院に集合し、入院病棟へ。主治医の先生、麻酔科の先生に翌日の手術の説明を改めて受け、ちょっと緊張…その日は21時以降禁食だったので、夜の病院食を最後の晩餐とばかりにかみしめました。さらに、21時ギリギリまでコンビニで買ったおやつを頬張る。さらにさらに「しばらく入れないから」とシャワーも念入りに。必死でした。笑
そして、これまでネットに上がっていた手術体験記を片っ端から読んでいましたが、この日は痛かった系の記事と痛くなかった系の記事を交互に再読。「人それぞれだな…」と悟りをひらくまで追い込みました。笑
入院2日目、手術当日。
この日は7時から飲み物も禁止だったので、6時に起床して水をがぶ飲み。母も来てくれて、点滴を受けながら手術室に呼ばれるのを待ちます。
私は当日二人目のオペだったようで、呼ばれたのは11時過ぎでした。手術着に着替え、手術室まで歩いて移動。たぶん誰もが思うのでしょうが、手術室はドラマで見ていたやつでした。笑 ずっとキョロキョロ。意図的にそうしていた節もあります。さすがに緊張していましたから…
個室に入り、ベットには自分で横たわりました。すると、何やらあったかいカバーのようなもので全身が包まれ、酸素マスクがかけられました。主治医の先生が「緊張なう?」と聞いてきたので、先生やるなーと思いながら少しリラックス。笑
すると別の先生に「じゃあそろそろ点滴から眠くなるお薬入れますよ~、深呼吸してくださいね~」と声をかけられ、深呼吸。2回目の深呼吸でぐにゃりと視界が歪み、そのまま眠りました…
…目を覚ましたのは手術後の手術室だったのですが、ここはほとんど記憶がありません。喉から呼吸用の管を抜かれ、病棟のベッドに寝たまま移動、そのまま病棟に運ばれました。その間はずっとむせていて、なんとなく吐き気のする気持ち悪さ。乗り物酔いかなとぼんやり思ったのですが、呼吸用の管を抜いたときに特に若い女性は気持ち悪くなりやすいそうです。ちなみに私はこの時点で喋れていました。
戻ってからも気持ち悪くて、枕がほしい頭を高くしてほしい、とそれだけずっと訴え。笑 術後3時間は安静ということで、再び就寝。
3時間後、目覚めた時は気持ち悪さが取れていました。喉は痛いというより、何かがおかしいという違和感。ただ、唾を飲むときはさすがに痛い。そして、舌が上手に動かず声は出るけどうまく喋れない。酸素マスクを取り、手術着からパジャマに着替えて、看護婦さんと一緒に初歩行。ちゃんと歩けました。水を飲む許可もおりて「あれ?これ余裕なんじゃないの?」とニヤニヤ。笑
しかし、ここからが地獄でした…
まず、水を飲む。いつも通り口に含んだら盛大にむせました。笑 唾以外の水分を口にして初めて気づいたのですが、口の中の形が変わっているのです。水を通る経路がいつもと違う。結構な衝撃でした。ちなみに、私はこの飲む行為に慣れるまで2~3日掛かりました。
そして、術後の痛み。体験記を読んで、術後すぐより経ってからの方が痛い、という話は知っていましたが、夜が更けるにつれ段々と痛みが…。喉の場合厄介なのが、何もしなくても痛いということは、唾を飲むと恐ろしく痛いということです。
その夜は、寝ようと横になる→唾がたまる→飲み込む→痛くて飛び起きる、もしくは、寝ようと横になる→唾がたまる→飲み込むのを我慢→息が詰まりそうで眠れない、の繰り返しでした。
ここまでの痛さではなくなりますが、痛みは乾燥する朝を中心にその後もしばらく続きます。私は乾燥予防に、入院中は終始「濡れマスク」をしてました。
眠れないまま翌朝…入院3日目です。
この日から食事が出ました。体験記を読んでいると、重湯やおかゆから始まる病院が多そうですが、私は普通に常食スタートでした。
出血もなく経過は順調だったと思いますが、口が思ったように開かない・舌の付け根が痛い・もちろん飲み込みが痛い、という状況だったので、ほとんど食べずに終了。「プリンとかアイスクリームなら食べれるって人多いよ」という情報を頼りに、コンビニでプリンを購入。ゆっくり30分ぐらいかけて、ひとつ食べられました。
ちなみに、この後退院までずっとプリンで栄養摂取していたので、当時の私はプリンで出来ていたといっても過言ではないです。笑 プリン様様!!!!
長くなってきたので、退院までの生活は次回とします。次回最終回にしたい。笑
たまでした。
扁桃腺摘出手術をしました。~②手術を決心するまで~
こんにちは、たまです。
忘れないうちに扁桃腺摘出話の続きを書く!まだ前段の話してますからね。笑 ちなみに第一弾はこちら。
はじめての入院
さて、扁桃周囲膿瘍に倒れて余儀なく4~5日の入院を宣告されたわけですが、その入院中の話も少しだけ。
喉の奥にメスを入れられているわけですから、当然ごはんは…と思いきや、当日夜にはおかゆを少しだけ食べることができました!!!!飲み込むのにまだまだエイヤの気合は必要なものの、人間ってすごいんだなぁ。医者ってすごいんだなぁ。と感心の毎日。笑
あの入院の日々で食べた病院食は本当に美味しくて、美味しく食べられるってなんて幸せなことだ。と毎日思っていました。ちなみにこれは、扁桃腺を摘出した現在もよく思います。
さて、幸せを噛みしめながらもそこは入院生活。つらいことが2つありました。
一つは、残りの膿を出す作業。特に麻酔も何もないまま喉を針でツンツンされる。痛いって分かっててやられるっていうのがまたね…分かってなくてもつらいんだけどね…笑 でもこれは初日含めて3回ぐらいで終わったと思います。あとは白くかさぶたができた喉を観察する日々。
もう一つは、6時間おきの抗生剤の点滴です。これは病院と人によるのかもしれませんが。前のポストで書いた通り、入院中左腕には常に点滴針が刺さったままでした。その点滴針に10時、16時、22時、4時からそれぞれ1時間、抗生剤の点滴が繋がれます。つまり、付ける、外すでいちいち起きるので5時間以上の連続睡眠はありません。それでなんかずっと眠かった。笑
そんなこんなで無事膿も出し切り、かさぶたも育って無事退院。職場にジャンピング土下座で社会復帰しました。
無理のきかない身体
さて、無事健康体を取り戻して社会復帰を果たしたわけですが、幸せな時間はそう長くは続きませんでした。笑
退院してから3週間後、なんだか喉が痛い。熱はないけどこの唾を飲むときの痛みには覚えがある…
そうなんです。扁桃炎は繰り返す人が多い。私はそれから半年間、月に1度のペースで喉を痛め、耳鼻科に通うという生活を送りました。最初のうちは市販薬でどうにか、安静にしていれば、と思っていましたが、3回目の扁桃炎の時にまた膿が溜まる寸前まで悪化させてしまい、お医者さんに怒られました。笑
私はそこまでいきませんでしたが、一回周囲膿瘍をやった人は周囲膿瘍までのパターン?を繰り返す人も多いそう。地獄です…
それまでは健康な生活さえ送っていれば…と思っていたのですが、人間、仕事も遊びも少し頑張りたいときあるじゃないですか。でも今まで何ともなかったその無理が、全て扁桃炎になって返ってくる。頑張りたいと思うと扁桃炎がちらつき、いいや頑張ろうと決めて頑張ると、その分喉の痛みとして返ってくる。私はだんだんそのことがストレスに感じるようになってきました。
そして、4回目の扁桃炎のとき、かかりつけの耳鼻科の先生に手術を検討したいと申し出て、最初に入院した大きな病院に紹介状を書いてもらったのです。
私は扁桃周囲膿瘍になるまで、扁桃腺関連で病気をしたことは一回もなく、なってから急に繰り返すようになったのですが、周りの話をきくとレアケースな気がします。悩んでいる人は結構前から扁桃炎にかかりやすく、そこまで大ごとにならないから手術に踏み切れない、と。そういう人が多そう。
もし、少しでも検討しているのならお医者さんに話を聞いてみる、というのがいいと私は思います。実際の手術~入院の流れなども聞いて、総合的に自分で判断すれば、どちらの決断も後悔しないと思うので… 当たり前のことを偉そうに言ってるだけですが…
まあつまり、どうしようかな~と思っているのが一番勿体ないし、身体にも心にも負担をかけてるんじゃないかと思うのです!
ちなみに、扁桃腺摘出手術は誰でも受けたい!と言って受けられるものじゃないそうです。年に4~5回程度扁桃炎を繰り返す慢性扁桃炎、もしくは扁桃周囲膿瘍にかかったことがある人…など制約があるそう。この辺もお医者さまと話せばわかりますよ。
さて、実際手術を決心してからの流れはまた次回にします。
たまでした。
扁桃腺摘出手術をしました。~①扁桃周囲膿瘍にかかる~
タイトル通りですが、扁桃腺を取りました!
こんにちは、たまです。
扁桃腺取ります、と話すと「私も実は取ろうかと…」と言う方が意外といます。そして大体の方が踏み切れないので話を聞きたい、とおっしゃる。私自身、手術前は「扁桃腺摘出 ブログ」の体験談を片っ端から読んでいたので、私の話もイチ体験談として書き残しておこうと思います。
急性扁桃炎前夜。
私が初めて扁桃炎になったのは、手術からさかのぼること半年前。26歳の誕生日でした。
前日、日中から喉が痛くて少し寒気がしたので、風邪を疑って早めに就寝。夜中目が覚めると汗びっしょり。40度でした。水を飲んで着替えると、今度は悪寒で歯がガチガチ…。その繰り返しで、まさに悪夢のような一晩。
寝た気がしないまま誕生日当日の朝を迎え、全く熱が下がらないのでそのまま病院へ。インフルエンザだと思ったので、普通に内科にかかりました。
これが良くなかった。
内科では普通にインフルエンザの検査をしてもらったんですが、勿論陰性で解熱剤をもらってそのまま帰宅しました。点滴だけでも打ってもらいたかったな…そもそも点滴って頼んだら打ってもらえるのかな…と朦朧としながら思ったのを覚えています。
その時既に喉は唾を飲むのがやっと。水もろくに飲んでいなかったので、脱水症状もあったのかもしれません。
解熱剤を飲んでも全く熱が下がらないまま、翌日。
あまりにも喉が痛いので、近くの耳鼻咽頭科にかかりました。この時はもう、喋れずスマホで筆談していました。唾を飲むこともできず、口の中に唾を溜めて洗面で吐き出すのみ。実家にいなかったら自力で病院に行かなければならなかったと思うと、ぞっとします…
そこでやっと、扁桃炎だったことが判明。しかもかなり進行していて、大きな病院で処置が必要かもしれない、とのこと。紹介状を書いてもらい、大きな病院の耳鼻科へ。最初から耳鼻科にかかっておけば…と思ったのは言うまでもありません…
そこで初めて「扁桃周囲膿瘍」という名前を聞きました。
扁桃周囲膿瘍とは…?
扁桃周囲膿瘍(扁桃周囲炎)とはどんな病気か【図付】|症状や原因・治療 - gooヘルスケア
炎症を起こした扁桃腺のみならず、その周りにも炎症が及んで膿が溜まっている状態。気管を塞いでしまう危険性もあるとのことで、その場で処置→緊急入院となりました。
この処置がね…本当につらかった。
まずは、完全に脱水症状になっていたので点滴開始。15分ぐらいベッドに寝かせてもらって、水分が身体中を駆け巡るのが分かって、この2日間で初めて生きた心地がしました。この時は、この点滴がそれから5日間付けっぱなしになるとは露ほども思わず…
少し回復したところで処置の説明。
局部麻酔をして、膿が溜まっているところに針を刺して膿を出します、とのこと。針で膿の場所を突き止めて、一気に出せそうなら少し切るかもしれない、とのこと。
結構痛いけど頑張りましょうと言われましたが、今より良くなるなら受けて立とう…!まずは局部麻酔。吸入器を1~2分ほどあて、なんとなく喉が痺れてきたところで、口の中に注射をされました。
この注射がまず第一関門。歯医者さんで抜歯するとき歯茎に差す麻酔注射を、そのまま喉にされている感じ。局部麻酔なので見えるし、感覚も何となくあるのがまた…
麻酔のあとは喉を針で何か所か刺されます。これが痛い。
私はたぶん2~3針目で膿が出て切開に移ったので、時間はそんなにかかっていないのですが、もう気を失ってしまいたいぐらい痛かった。もちろん嗚咽もできず涙のみで必死の訴え…
終わった後、先生が「男性は本当に気を失う人もいるんだよ、やっぱり女性は強いねえ」と言っていたので、本当に痛いんだと思います。まあこればっかりはなったらやってもらうしかないので、覚悟も何もないですが。ならないように気を付ける、それだけです。笑
初めての入院
地獄の処置が終わっても喉はまだ痛いまま。血の混じった唾を吐き出し続ける私。
先生から、まだ膿が残っているかもしれないし、3~4日は抗生剤を打って様子見です、という説明がありました。つまり入院です。喋れないので入院以外の選択肢を問うこともままならず、入院決定。笑
とても長くなりそうなので、入院後の話はまた次回にしようと思います。
一つだけ。その時実は私は転職したばかりで、忙しくなってきた矢先の出来事でした。
頑張り時だったのに悔しいわ虚しいわ迷惑かけるわで、入院中かなり凹みましたが、とても大事なことなので元気なうちに言っておきます。
会社も社会も、あなたがいなくても回ります!健康第一!!!
たまでした。