人生の夏休みを取りました。~①ここまでのいきさつ~
こんにちは。たまです。
前回ポストしてからもう4年。ブログを読み返して若いなと思ったり、意外とまともな文章書くなと思ったり。笑 (4年前も既に社会人ですから、そりゃそうなのですが笑)
今回は、私が人生の夏休みを取った話をします。
画像もなしで、ほとんど独白ですが…
どこかの誰かが似たような思いを抱き、何気なくgoogle検索した時に、引っかかるといいなという気持ちで書き残します。
※長くなりそうなので、好きに読んでください。
いきさつ
軽く自己紹介をします。あるがままです。
31歳。女。会社員。
平日はほぼ毎日22時過ぎまで残業。土日祝休みだが、BtoC業務のアクシデントに備えて社用携帯は放置不可。なんかずーっと忙しい。
社会人9年目。激務経験もあり、成したことも、今の会社の評価もそれなりにある。たぶん、85点は取れる。(何のテスト?)
2021年にコロナ禍で結婚。子供なし、希望はあり。そろそろ真面目に…という局面。
映画のエンドロールに名前が載ることが、私の夢でした。
6年前、夢は叶いました。ただその時に見た景色は、思ってたものと違った。
もちろん嬉しかったし、転職もして自分で選択してきたことだし、どこかで間違えたと結論付けたくはないのです。
ただ、美しい山頂の景色を見て、道中の疲れが吹き飛ぶ…ことはなかった。頭では綺麗だ、すごいと思うのに、道すがらの泥にはまった身体があまりに汚くて、そんなことより早く帰りたいと思ってしまうような。純に喜べない、そんな気持ちでした。
あんなに頑張ったのになんか違ったなんて、当時はこの微妙な想いを言葉にするのも嫌で、これは幸せなことなんだと周りにも自分にも言い聞かせていました。(いやほんとに幸せなことではあったんですが)
私は、夢が浅かったのだと思いました。
エンドロールに載るってなんだよ、その心は?本当に成したいことは?自分本位じゃだめだ、人のためになってお金もらう「仕事」をなめてない?…みたいなことを延々考えました。
しかし、その間もまた別の山を、這って登っていく。山頂で景色を見る。美しいとは思う。ただ早く帰りたい。でもそのまま次の山にかかる。それを繰り返す。
そうすることでいつかしっくりきて、正解にできると思った。いやほんとはもう信じてなかったかもしれないけど、信じるしかなかった。
そして登山と少し違うのは、時を同じくして違う山にも挑んでいたことです。マルチタスクってやつ。その数も質も、恐らくずっとキャパを超えていて、でも私はその違和感を無視していました。複数人に見せかけて私は一人ですから、もう何が頂上なのか、どれがすごくてどれがすごくないのか、そのうち分からなくなりました。
頂上の景色に期待しすぎない、道中なんてキツイものだ、頂上着いたけど時間ないから景色はいいや、この山は頂上見なくていいから次行こう、登れると思われているから任されるのだ、…そうやって色々諦めながら、歩き続けました。
要領がいいと言われます。それ褒めてんの?と思います。
仕事が早いと言われます。早く帰りたいからです。
仕事が雑と言われます。ムカつくけどそうだろうと思います。
これもよろしく!と言われます。私は頷きます。はい喜んで!を言わない、というショボい抵抗を見せますが、当然誰も気付きません。
山登りが嫌になりました。
辛いけど景色がいいから登っちゃうみたいな中毒性も、もはやない。飽きたし、つまんないし、ずっとつらい。
夢とかも、知らないうちにどうでもよくなりました。
浅いとか深いとか知らん。もう考えたくない。
仕事ってそんなもんでしょ、という達観したアレを言う人もいますが、もし社会人がみんな「こんなもん」で頑張ってるんだとしたら、私は心底すごいと思います。拍手もんです。
私にはできないので、落ちこぼれなのかもしれません。でも、もうそれでもいいやと思うくらいには、疲れてしまったのです。
そうして2021年冬。
「限界」を迎えました。
「限界」とは
限界の定義は難しいです。
死ぬまで?病気になるまで?
病気になるというのは、医者にかかり病名がついたら、でしょうか。鬱?適応障害?
それはもう限界超えちゃってるでしょと思う。
逆に、こっからはちょっと無理をすることになる、というバーが限界でしょうか。
それは甘いだろと思う。
私は今回病院にはかかっていません。薬も飲んでいません。
お腹が痛くなったり涙が止まらなくなったり、辛くて会社に行けないこともありません。
でも、帰りのタクシーでたまに涙は出るし、朝は何かを考えると辛いので無心で家を出ます。
誰かが共感できるかもしれないので、いくつか起きていた諸問題を書いておきます。
- 考えようとすると頭にもやがかかる。同じことをずっと悩んでる気がする。もはや何を悩んでるのかわからない。
- 数字が3桁以上覚えられない。例えば認証コードとか。2桁ずつ行ったり来たりする。
- 1秒前にやろうとしていたことを忘れる。忘れて他のことをやってることも忘れる。
- 深夜暴食。心底食べたいと思ってるわけではなくて、食べたい衝動に抗えなくて、食べ始めた時点で後悔する。
- ずっと身体が重い。元気な状態がどういう状態か、よく思い出せない。
- 気づくと呼吸が苦しい。たぶん浅い。深呼吸すると肺が伸びて痛い。
私にとって一番ショックだったのは、大好きな映画・読書・旅行をする気が起きなくなったことでした。
映画に2時間集中できないし、したくない。
活字を追っても、少しも読めてない(理解してない)ことがある。
子供のころからコンテンツは変われど、違う世界に揺蕩い、誰かの生き様に心動かされることがなんだか好きで、エンタメを志し、夢まで描いたのです。
なのに、心動かされて疲れるのが嫌だ、と思った。
何も考えなくて済むバラエティばかりで、時間が溶けていく。それしか手が出す気になれない休日の自分。
エンタメに携わる社会人としても、人間としても終わってると思いました。
旅行は唯一、仕事とは無関係な私の息抜きでした。(エンタメに関係ないことなんてない、みたいなお叱りはごめんです)
コロナも重なりましたが、たぶん重なってなくても行けなくなってたと思います。
いくら考えても尽きることが無かった「行きたいところ、やりたいこと」が、思い浮かばなくなっていました。
どれがいつからという正確なことは覚えていませんが、少なくともコロナ禍の2年間は全ての諸問題が併発していました。
仕事は仕事でやれていたし、取るに足らないことかもしれません。多少無理をすればよくあることでしょ、とも思う。
でも、原因は何か、解決策は何か、とか考えるともやがかかるので、もういいやと諦める。でも悩む。悩んでる自分が嫌になる。
嫌になることも嫌になって寝る。朝が来る。無心で会社に行く。その繰り返しでした。
私は自分が鬱病ではないし、病院にはかからないと思っています。
自分がちょっとおかしいなということは察知できていて、自分で宥めたり隠したり、対外的な対処はしていたし、気づいてさえいれば本当の限界が来る前に「限界」を設けられると思うからです。
そして、おかしさに気付かないまま、物理的な症状が出る人を羨ましいと思いました。
強制的に足を止めてもらえたら。「もういいから休め」と言われたら楽なのに、と思っていました。
ごめんなさい、こんなことを書いて誰かを傷つけるのは分かっているのですが、誰かに寄り添えるかもしれないのであえて残します。
会社員なんだからいつ辞めたっていいんだ、限界はいつでも自分で決めていいんだ、と自分に言い聞かせる意味でも、辞めたいとよくまわりに愚痴っていました。
が、実際そう簡単に足を止められない。
私の場合、会社や人間関係が嫌以前に、働くことに参っていたので、異動や転職が最善策だとは思えず、一回ニートになるしかないと思っていました。
経歴の傷、レールを降りること、ネガティブな理由での退職、ニートのレッテル、社会価値、そんなことばかりが気になりました。
どれも健康と天秤にかける価値もないものだと思う。友達がそんなことで悩んでいたら、もう辞めなよと言うでしょう。
でも、そんなこと気にできるんだったら限界はまだ先だよ、とかも思う。
「限界」のバーを向こうへ、向こうへ、ずらし続ける。
きっと折れる自分を一番許せないのは、自分なのです。
今回はここまでにします。次回は夏休みを決意するところから。
以上、たまでした。